【初心者向け】日清戦争の背景・原因・結果と影響をわかりやすく解説

日清戦争アイキャッチ画像 近現代

1894年に起こった日清戦争について初心者にも分かりやすいように解説します。この記事を読むことであなたは以下のことが説明できるようになっているはずです。

古代より続く中国と朝鮮の関係性

日清戦争の一連の流れ

日清戦争前後での東アジアの変化

簡単に結論だけを書きます。

朝鮮は昔から中国の子分だったために、近代化を求める日本の要求と板挟みに合い、主導権を握りたい日清両国の戦争の引き金になった。勝った日本は新たな領土を獲得しさらなる中国進出の足掛かりを得たが列強諸国に警戒されることになった。負けた中国は領土を失うとともに列強諸国による領土分割の対象とされた。

今読んでも分からない部分もあるかもしれません。この記事を読み終わるころには上の結論を理解し、より深い内容まで説明できるようになっているはずです。

日清戦争の背景

前提として朝鮮は中国の子分でした。昔から中国には自分の国が世界の中心であるという考えがあって周りの国々は中国に貢物を送ることで自国の支配を認めてもらっていたわけです。これを冊封体制さくほうたいせいといいます。

地図で見ても少し不自然じゃないですか?中国というとても大きな国の東の端にある半島。ここだけが別の国なんです。支配しようと思えばすぐにでもできそうです。自国の領土として管理するよりも貢物を受け取って支配を認めるだけの後ろ盾でいる方がラクだったんでしょうね。

夏太郎
夏太郎

卑弥呼も貢物を送って「親魏倭王」の金印をもらいました

明治政府の朝鮮交渉

明治政府は朝鮮に対して開国を要求していました。日本がガンバって強くなっても隣の朝鮮が欧米に支配されてしまうと厳しい。朝鮮を足掛かりにしてすぐ日本にも攻め入ることができてしまいます。だから朝鮮にも近代化を進めて強くなって欲しかったんです。

これに対して朝鮮は「日本の言う通り開国しようの親日派」と「今まで通り中国に付いていこうの親中国派」に分かれます。

甲午農民戦争(別名:東学党の乱)

農民イメージ図

日本は軍事力を背景として半ば強引に条約を結び朝鮮との国交を開きます(日朝修好条規)。日本商人による進出や政府による増税の結果、朝鮮は不況になります。生活不安が強まると流行るのが宗教。みんな不安なんです。明日食う物も確保できない。衣食住がままならない。助けて神様仏様。願いたくなります。

この時に流行ったのが東学という宗教です。東学の信者を中心として起こった農民反乱を甲午農民戦争といいます。

清の出兵

反乱の鎮圧のため、朝鮮政府は清に出兵を依頼します。清が兵を出すと天津条約にしたがって日本にもそれが通知されます。清に朝鮮を占拠されては困るので日本も負けじと出兵します。

天津条約 甲申事変後の1885年締結

日清両軍の朝鮮からの撤退・日清両国の朝鮮軍事顧問廃止・朝鮮への出兵は相互通知を義務化

ところが朝鮮政府はすぐに反乱軍との和解を成立させます。こうなると日本軍がとどまる理由がなくなるわけですが、撤退しませんでした。当時の内閣が支持されていなかったことと世論が好戦的だったことが理由です。このまま撤退しては内閣が批判されるのは明らかでした。

日清戦争はじまる

強引に朝鮮に居座った日本軍は朝鮮王宮を支配します。軍事力を背景として親日派政権を樹立。清に対して撤兵を要求させます。清が拒否すると朝鮮の独立確保を掲げて日清戦争へと突入します。戦争は日本軍優位で進み下関条約を結んで講和となります。

日清戦争の主要戦闘
  • 1894.7
    豊島沖海戦勝利
  • 1894.11
    遼東半島の旅順占領
  • 1895.2
    山東半島の威海衛占領
下関条約
  1. 日本が得た領土:台湾・遼東半島・澎湖諸島
  2. 清は朝鮮の独立を認める
  3. 賠償金:約2億テール(当時の国家予算の4倍)
  4. 清は港を開港する:沙市・重慶・蘇州・杭州
  5. 日清通商航海条約:1896年調印。不平等条約。1930年の日中関税協定で解消。

下関条約の影響

台湾征服戦争で台湾総督府が設置される

下関条約で台湾は日本の領土となったものの現地の人は納得できません。台湾は独立をねらいますが日本は台湾総督府(初代総督樺山資紀かばやますけのり)を設置し軍隊を派遣することで阻止します。ここから50年間、台湾は日本の一部になるのです。

三国干渉でロシアに敵対感情を燃やす

遼東半島への領土的野心を抱いていたロシアが中心となりフランス・ドイツが協力。日本に対して遼東半島の返還を要求しました(三国干渉)。泣く泣く応じた日本は臥薪嘗胆をスローガンとしてロシアへの敵対感情を強めました。

朝鮮の名前が大韓帝国に変わる

朝鮮の独立を認めたことで、これまでの清の影響力が弱まります。また日本が行った内政干渉への反発も強く、自主的な独立を目指すようになります。決意の表れでしょう、国号を朝鮮から大韓帝国に変更。

金本位制が確立される

多額の賠償金を元手に金本位制きんほんいせいを確立します。金本位制は当時の世界的な通貨基準。金と円の交換比率を固定することで貿易を円滑にできます。金本位制を維持するには大量の金が必要で、そのための資金として賠償金を当てました。さらに八幡製鉄所を設立します。

綿紡績業の発展

港を開かせ不平等条約を結ばせたことで清に対して有利な条件で貿易できました。大きな輸出市場を得た日本の綿紡績業は急速に発展します。

ただしここには輸入関税撤廃によるインドからの綿花輸入増大が大きく関わっていました。原料を海外に依存したことで国内の綿花産業は衰退します。生糸は引き続き主力輸出商品のままだったので養蚕・製糸業は盛んになります。

綿紡績業の発展

  • (日清戦争前の)1890年:綿糸生産高>綿糸輸入高
  • (日清戦争後の)1897年:綿糸輸出高>綿糸輸入高
  • 綿紡績業:綿花→綿糸→綿織物
  • 製糸業:蚕・繭→生糸→絹織物

中国分割が行われる

日清戦争でその弱さを露呈した中国は列強の食い物にされます。多額の賠償金を支払わされた清に対して欧米諸国はお金を貸します。その見返りとして土地や港を租借そしゃく。期限付きの占領のようなものですね。こうして次々と中国の領土が欧米のものとなっていきました。

まとめ

朝鮮は昔から中国の子分だったために、近代化を求める日本の要求と板挟みに合い、主導権を握りたい日清両国の戦争の引き金になった。勝った日本は新たな領土を獲得し、さらなる中国進出の足掛かりを得たが列強諸国に警戒されることになった。負けた中国は領土を失うとともに列強諸国による領土分割の対象とされた。

冒頭で述べたものと同じです。記事を読むことで理解が深まったと思います。「日清戦争は1894年に起きた日本と清の戦争」という程度の理解では不十分。それまでの経緯やその後の影響を知らなければ意味がありません。

一読しただけでは忘れてしまうと思うので繰り返し読み返してください。要点だけを見直せるように一枚の画像にまとめたものを作りました。何度も眺めて見たり、ところどころ隠して覚えているかをチェックするのに使ってみてください。

日清戦争まとめ
日清戦争まとめ

例題

例題1

減税と排日を要求して1894年に朝鮮で起こった反乱はどれか、次の①~④の選択肢からひとつ選べ。
①甲申事変
②壬午軍乱
③甲午農民戦争
④三・一独立運動

解答
答え③甲午農民戦争 民衆宗教の東学の信者が中心となったことから東学党の乱とも言う。①甲申事変は1884年、親日派の独立党が起こした反乱 ②壬午軍乱は1882年、反日派の大印君が起こした反乱 ④三・一独立運動は1919年、民族自決の考えにしたがって日本からの独立をはかった運動。
例題2

下関条約で得た領土として不適切なものはどれか、次の①~④の選択肢からひとつ選べ。
①台湾
②澎湖諸島
③遼東半島
④山東半島

解答
答え④山東半島 日清戦争で山東半島の威海衛の占領に成功したが割譲対象にはなっていない。 ① 台湾②澎湖諸島③遼東半島はいずれも正しい。遼東半島は三国干渉により返還させられる。

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